家系図調査

~その1 家系図との出会い~

はじめに

 皆様の家には家系図は伝わっていますか?
 恐らく大半の人は、そんなものは見たことすらない、といわれるに違いありません。
 しかし、我が家には家系図が伝わっていたんです。
 正確に言うと、嫁の家に伝わっていたものですが。。。

 戦国~江戸期において家系図を捏造、もしくは買い取ったりして自分の祖先に箔をつけたりすることが流行し、本物の家系図はほとんど残っていないというのが一般的な家系図の通念です。
 しかし、それでも今見ている物は本物ではないのか。少なくともそういう思いで家系図を調査することにしました。
 まず初回は、その家系図との出会いからお話ししようと思います。


嫁との結婚

写真AC はなぴあさん

 私が結婚したのは今から13年前、2009年になります。
 私が次男坊だったこと、嫁は三人姉妹の次女だったこともあり、私は迷いもなく嫁の家に嫁いで、小田切家を継ぐこととしたのですが、その際に小田切家のご先祖様について父親からお話を伺いました。

 父親によりますと、そもそも小田切家は講談でも有名な幡随院長兵衛を湯殿で殺害した水野家に仕え、槍術師範を代々継いできた家柄である、という話でした。槍術師範とは槍の先生ということですね。
 その関係かどうか、福山藩水野家の菩提寺ともなった賢忠寺という古刹に、今も先祖のお墓があるとのことでした。
 そして、子孫は幕末まで福山藩に仕え、幕末ごろには阿部家の藩校誠之館にて槍術師範をしていたそうです。

 藩主と同じお寺にお墓があるというのは、確かに先祖が只者ではない感じがしますね。

 ただこの時なんとなく気になったのは、水野家に仕えていた槍術師範が、なぜ阿部家に仕えたのか。また水野家から阿部家に主を変えた槍術師範の墓が何故水野家の菩提寺にあるのだろうかと。

 基本的に転封によって領地替えが発生した場合、家臣は現地で採用せずに連れていくことが多いと思われる。
 ただ、領国経営を安定させるという観点で、地元の人間を採用することがないわけではないでしょうから、水野家の家臣であった小田切家がそのまま福山に土着し、阿部家の福山入りと同時に採用された可能性もあるので、阿部家との関連を否定もできない状況でした。

 ならば、その疑問を解消するには家系図を見せてもらうのが一番いいのではないのか?と思ったのです。


家系図との対面

 父親に家系図を見せてほしいと頼むと、「いいよ、いいよ。こちらにおいで」とばかりに、すぐに見せてもらえることに。

 客間に通されると、父親は棚から細長の箱を取り出し私の前に置きました。そして箱を開けると、今度は中から白木の箱が出てきました。家系図など見たことのない私のはやる気持ちを見透かすように、じらしているかのような演出でした。

 そしてついに白木の箱から出てきたのは一本の掛け軸のような、巻物でした。きちんと表装されたその巻物は、何柄というのでしょうか。The巻物、といった風な和風の柄に包まれ、紐が何回も何回も巻きつけてあり、丹念に巻物の紐をほどくと、ついにその家系図が姿を現したのです。

小田切家家系図 (小田切家所蔵)

 くるくると回しながら、先へ先へと見せてくれたのですが・・・「あれ?思っていた家系図と違う」と思ったのはすぐの事でした。
 家系図というと、古い紙にのたうち回るような行書体と草書体の文字が混じったような文字を想像していたのですが、この家系図は綺麗な楷書体で書かれており、何より紙が新し過ぎます。

 しかしその理由は、この家系図の最初に書かれてあったのです。

小田切家家系図 (小田切家所蔵)

【 原文 】
 『
 本系図ハ昭和18年11月3日
 明治節ノ佳キ日ニ當リ(当り)子孫ノ
 為メ分家創設者ノ嘱に應シ(応じ)
 本家系圖ヲ(系図を)復寫ス(複写す)
 書者村上源四郎
 』

【現代語訳】
 『
 この系図は昭和18年11月3日、
 明治節の良き日を選び、子孫の
 為に分家創設者の求めに応じて、
 本家家系図を複写いたしました。
 』
 ※明治節…明治天皇を偲び、誕生日を祝日とした。現在の制度では文化の日。

 嫁から数えると三代前、曽祖父祿太郎の息子義男は三男だったため、家系図を継承できなくなった。そこで、自分の家系図が欲しくて、嫁の父である村上源四郎に家系図の複写を頼んだという経緯があったそうです。確かに、読みやすい綺麗な字を書かれていますよね。
 義男はすでにこの世におられませんので詳しいことはわかりませんが、家系図とともにそう伝えられているのです。
 余談ですが、写した原本ともいうべき本家が保管している家系図は、空襲によって燃えたという話も伝え聞いているらしいのですが、真実であるのかそうでないのか、その真相はわかっておりません。

 さて、話はそれましたが、この家系図には小田切家の先祖に関することがたくさん書かれておりました。それは、単に誰それの子供が誰、といっただけでなく、その人物の生涯のエピソードなども記載されている場合もありました。

 幸運なことに、この家系図は昭和初期に書かれたもので、私でも簡単に読むことができる文字に書き直されていました。(少なからず旧字体はありましたが…)
 何故ならこれからの小田切家の先祖の調査を行う上で、いちいち文字の解読という手間を省くことができたのは、大いに助かりました。
 さて、何故阿部家の家臣が水野家の菩提寺に葬られているのか、この調査においても綺麗な楷書体で書いていただいたおかげだということなのですが、その辺の詳しいお話はまた次回以降、ということにさせていただきます。

 家系図との出会いに至るまでのお話は、この辺で…。
 では、失礼します。

 更新日:2022年03月13日


参考資料