家系図調査

~その3 家系図の調査(1)~

家系図とは

 家系図とはなにか。まずはそこからお話をしたいと思います。

 実は家系図という言い方よりも、系図という言い方をすることの方が多いようで、goo辞書には系図しか載っておりませんでした。ちなみに、このように書かれていました。

「先祖から子孫に至る一族の系統を書き記した表。系譜。家譜。家系図。」

 先祖から子孫に至るまでとありますが、一般的に個人の記憶をたどるだけでは祖父母や曽祖父母あたりまでで、それ以上となると戸籍を調べたり、お寺の過去帳を調べないとわからない世界となります。先祖の調査方法については、全く詳しくないので、気になる方はご自分で調べてみてください。

 最近はNHKでも「ファミリーヒストリア」とか「日本人のおなまえ」という番組を放送したりして、苗字や家系に対する興味が高まっています。ファミリーヒストリアの番組の人気は、そのまま一般家庭にも波及し、家系図を作る方がいっぺんに増加したようです。しかし、その調査できる範囲は昭和、大正、明治ぐらいまででしょうか。運よく調査できて江戸時代後期といったところでしょうか?

 家系図は先祖が誰であるかを証明するものであるため、先祖が藤原家であるのか、天皇家につながるのか、天皇家でもどの天皇につながるのかで、大きな意味合いをもっていた。だからこそ、徳川家康が征夷大将軍の地位を得るために、源氏の嫡流であることを示す家系図を作ったのではないか、といった与太話も出てきたりするのです。
 また、家系図は履歴書のようなもので、武士がどこぞの主君に仕官するとなると、たちまち家系図は重要な意味合いをもってくる。戦国時代のような実力主義の時代はそうでもなかったのかもしれませんが、江戸時代のような平和な時代には有名な先祖を持っていることは一種のステータスであったため、家系図を偽造する家系図屋があったと言います。一説には良い家柄だと出世や俸禄に影響が出るという話もあったりするので、家系図屋の需要はかなりあったのかもしれません。

 こういった具合ですので、現代にまで伝わっている家系図のほとんどが偽物であると言われています。私の家に伝わっている家系図も偽物である可能性がありますが、作られた部分以外に真実の部分も含まれているでしょうから、そこの見極めも今後の調査に乞うご期待、といったところでしょうか。


家系図の見方

 別の回に書かせていただきましたが、現在小田切家に伝えられている家系図は大正時代に書き写されたもので、文字的に非常に見やすくなっています。
 それは写した際に見た目の、表現的なものも見やすくした可能性もあります。すなわち、写し間違いが発生している可能性があります。
 ただ、それを言い出すときりがないので、全て正確に写されたものだと信じてお話を続けさせていただきます。

 家系図は巻物ですので、基本は右から左へと記載されていきます。

小田切家家系図 (小田切家所蔵)

 上図の中で、赤で囲まれた部分がご先祖様たちです。赤で疑似的に線を引いてますが、よく見れば黒で線が引かれていると思います。右から左へ、親から子へ、そして孫へと続いていく線が家系図における先祖から子孫への一族の系統となります。

 ここでは詳しく述べませんが、一言だけ。
 線は血のつながりではありません。血のつながった親子の場合もあるかと思いますが、子がいないために弟や養子を迎えていることもあるでしょう。それが書いていれば良いのですが、書いてない場合も多いので、注意が必要です。

 

小田切家家系図 (小田切家所蔵)

 上図の中で、黄色で囲んでありますが、『小田切丹治親義』や『小田切郷左衛門親豊』の左側に「〇〇御家来」と記載があります。これは、『小田切丹治親義』や『小田切郷左衛門親豊』の備考と考えてもらってよいと思います。『小田切丹治親義』は『奥平大膳太夫』の家来であったことがわかります。また、『小田切郷左衛門親豊』は『山﨑主税之助』の家来であった。
 そういった見方をします。

 赤色で囲んである『小田切兵弥親苗』と『小田切美能里』の右上に記載されている「親行嫡子」や「親豊次男」は、いうまでもなく血のつながりを記載してくれています。
 『小田切兵弥親苗』は親行の嫡子、『小田切美能里』は親豊の次男ということですね。

 

 ただし下図のように、家系図の冒頭に記載されている『光孝天皇三代公忠胤』の左側に記載されている『六條判官為義~』の文章は、この話の流れで行くと備考ということにはなるんですが、実はこの家系図をすごいものに見せかけようとする一文で、意味もなく有名な人物を次々と記載しています。
(写真が切れていますが、内容的には家紋を貰った際の説明をしてくれています)
 例えば源頼朝の名前が出てきますが、源頼朝は光孝天皇の甥にあたる清和天皇の血統であり、小田切家のご先祖様に源頼朝がおられる訳ではありません。ただ、源頼朝が家系図に現れれば、何か関係があるのだと思ってもらえる、というところでしょうか?
 小田切の先祖でもある長野県にかかわりのある滋野や海野といった名前が出てくるのは、真実を伝えているのかもしれません。

小田切家家系図 (小田切家所蔵)

 しかし左の方に眞田左京太夫幸隆やその子の眞田弾正忠信綱の名前が書かれていることがこの家系図に箔をつけているように見えますが、右側に『眞田幸隆』や『眞田信綱』らの年代的に見て新しい人物の名前が書かれており、左側に『根井大弥太親武』や『小田切太郎親世』らの年代的に古い人物を書いております。
 先に書かせていただきましたが、巻物は右から左に書いていくため、右側に新しい時代の人物の名前を書くことはほぼ不可能です。よって、逆にその時代以降に書かれたものであることがわかるという証拠にもなってしまっています。
 (空白を空けておく、付箋や付録的に紙を足していれば可能ですが)  パソコンであれば挿入をすることが可能かもしれませんが、巻物である以上、挿入は不可能です。

小田切家家系図 (小田切家所蔵)

※備考部分に記載されている人物一覧
 六條判官為義
 帯刀先生義賢
 源義仲
 一條次郎(一条次郎忠頼?)
 伊豫守朝義(源伊予守頼義?)
 源頼朝
 新羅三郎従五位下刑部少輔源義光
 武田太郎信義
 清和天皇
 貞元親王
 海野信濃守幸棟
 海野小太郎滋野棟綱
 信濃守幸義(海野幸義)
 左京太夫幸隆(真田幸隆)
 眞田弾正忠信綱源太左衛門(真田信綱)
 昌輝兵部丞(真田昌輝)

 この時点ですでにこの家系図の信憑性を問われるような問題が発覚しましたが、100%偽物の家系図は無いと思われます。どこからかは真実が書かれていると思っておりますので、それはこれからの調査にご期待頂くと致しまして、本日はこの辺りでお開きとさせていただきます。

 更新日:2023年12月3日


参考資料